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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)4613号 判決 1984年6月18日

甲事件原告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 大西保

同 横幕武徳

同 金子哲男

乙事件原告 乙山夏子

右訴訟代理人弁護士 鈴木光春

同 橘田洋一

甲乙事件被告 小川景士

右訴訟代理人弁護士 石井一郎

同 衛藤彰

主文

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  亡甲野太郎が昭和五五年一二月一二日付自筆証言でなした遺言が無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

三  請求原因

1  原告甲野一郎及び乙山夏子は、昭和五五年一二月二五日に死亡した訴外亡甲野太郎(以下、亡太郎という。)の長男と次女であり、被告は弁護士であるところ、被告は、亡太郎の遺言書(甲第一号証、以下、本件遺言書という。)を所持し、同人の遺言執行者に指定されたと称して東京家庭裁判所に遺言書検認の申立(同庁昭和五五年(家)第二一〇五号)をなし、同裁判所は、昭和五六年三月二四日原・被告ら並びに相続人全員を審問のうえ、右遺言書の検認をなした。

2  本件遺言書は、自筆証書の方式によるもので、その作成日付は昭和五五年一二月一二日であり、その内容は「ゆいごん わしのいさんそうぞくの指定としっこうを小川景士べんごしにいたくする」というものである。

3  しかしながら、本件遺言書によってなされた遺言は、次の理由により無効である。

(一) (自書でない。)

本件遺言書は、亡太郎の自書ではなく、被告が作成したものであるから無効である。

(二) (亡太郎の真意に基づくものではない。)

本件遺言書の内容は、文言自体からは、その意味が相続分の指定の委託なのか遺産分割方法の指定の委託なのかあいまいであり、しかも専門的用語が使用されているが、これは被告の意のままに筆を運んだものであって、亡太郎の真意に基づくものではないから無効である。

(三) (遺言能力の欠缺)

亡太郎は、昭和五五年五月頃から虎ノ門病院に入院し、診断の結果肝臓癌にかかっていることがわかり、二~四か月の命しかないとのことであった。そして、同年一〇月一七日病状悪化し、治癒の見込みがなく自宅療養にて死を待つ身となり、日増しに病気は進行し、心身ともに衰弱はなはだしく、同年一二月一二日当時六、七歳程度の能力しかなかったものであるから遺言能力はなかったものである。

4  しかるに、被告は、右遺言が有効であると主張しているので、原告らはその無効であることの確認を求める。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実のうち作成の日付は否認し、その余の事実は認める。

2  同3(一)の事実は否認し、主張は争う。

3  同3(二)の事実は否認し、主張は争う。

4  同3(三)の事実は否認する。

5  同4の事実は認め、主張は争う。

五  抗弁

(本件遺言書の成立)

本件遺言書は、亡太郎が、同人方で昭和五五年一二月一三日に自書し作成したものである。

その際、被告が亡太郎の手に自分の手を添えたことはあるが、被告が書かせたものではなく、亡太郎が自分の字を見ながら自分の意思に従って書いたものである。

よって、本件遺言書による遺言は有効に成立したものである。

六  抗弁に対する認否及び原告らの主張抗弁事実は否認し、主張は争う。

(原告らの主張)

亡太郎の昭和五五年一二月一二日頃の病状は請求原因3(三)記載のとおり重く、とうてい文字を書くことなどできなかったはずである。

原告の妹訴外丙川秋子、同丁原冬子、訴外甲野二郎らは亡太郎から自分らに有利な遺言を得ようと被告と相計り、右同日渋谷公証役場の公証人訴外荒木大任に依頼して公正証書による遺言書を作成しようとしたが、公証人が亡太郎の枕元で話しかけても何も返事がなかったので、この病状では公正証書による遺言書を作成することはできないと拒絶されてしまった。

そこで、被告は、亡太郎に無理にボールペンを握らせ、その上から被告が同人の手を握って本件遺言書を作るに至ったものであり、このことは、本件遺言書の筆跡が被告の筆跡に似ていることからもうかがわれる。

自筆証書遺言は、簡易な形式の遺言であるだけに、その作成過程に他人の手が加わることは絶対に許されるべきではなく、他人の添手が加わった自筆証書遺言は当然に無効というべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の事実のうち、本件遺言書の作成日付を除くその余の事実については当事者間に争いがない。

二  そこで次に本件遺言書の成立について判断する。

《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1  亡太郎は、医師であったが、昭和五五年五月頃から虎ノ門病院に入院し、診断の結果肝臓癌にかかっていることがわかり、同年一〇月一七日頃には治癒の見込みがなかったので退院し、自宅で死を待つ身となった。

そして、同年一一月下旬頃、亡太郎は、遺言書を作ることにし、旧制高校の後輩であった被告を電話で自宅に呼び、同人に遺言書の作成を依頼した。

その際、亡太郎は、被告に対し、遺言の基本的方針は、妻訴外甲野花子の余生に心配がないようにすること、相続に当り相続税がなるべくかからないようにすること及び相続人間で紛争が起きないようにすることにある旨述べた。

2  そこで被告は、公正証書遺言を作ることを亡太郎にすすめ、同人もこれに同意したので、公正証書遺言をする準備を始め、亡太郎の意向に従って遺産について具体的な分割案を作成するとともに渋谷公証役場の公証人訴外荒木大任に遺言公正証書の作成を依頼した。

3  そして、昭和五五年一二月一二日、右公証人は、遺言公正証書を作成すべく亡太郎方を訪れ、事前に被告から渡されていた遺言書の原稿に基づき質問をしてみたが、亡太郎の話す言葉の意味が理解できず、また遺言書の原稿も長文であるうえ財産も多く多岐にわたっていたのでとうてい口授することは不可能であると判断し、遺言公正証書の作成を断った。

4  そこで、被告は、翌一三日夕方亡太郎を訪れ、同人に自筆証書遺言をすることをすすめたところ、同人もこれに同意し、遺産の分け方についてはすでに被告に話してあったことから、被告にすべてを任せるという趣旨の遺言をすることになった。

そして、当時、亡太郎は、衰弱と腹水のため自力で起き上ることができなかったので、その場に立会っていた同人の二男訴外甲野二郎から上半身を起してもらい、後から肩を支えてもらったうえ、側にあった医師用のバインダーを台にして遺言書を書こうとしたが、肱が固定しないために手が震えて書けそうになかった。

そこで、被告は、亡太郎の手の震えを止めるため、同人の右後方から自分の右手の掌を上に向けて亡太郎の右手首の下に当て、親指を同人の右手首の上に当てて同人の手を支えるとともに、同人の手を文字を書くべき場所に誘導してやり、亡太郎は、被告から右のような援助を受けながら自分の意思で一つ一つの文字を記載した。

なお、前記鑑定の結果によれば、前記甲第三号証中の亡太郎の記載部分の文字と本件遺言書の各文字の筆跡には同一性が認められる。

以上の各事実が認められる。

なお、右鑑定の結果と結論を異にする甲第一四号証は、その結論を出すに至った理由があまりに簡略にすぎ、にわかに措信し難い。

ところで、原告らは、遺言書の作成に第三者の添手が加わった場合には、右遺言書は遺言者の自書によるものとは言えないから無効である旨主張するのでこの点につき検討するに、民法が自筆証書遺言を認めた理由は、人の筆跡にはそれぞれ特徴があり、筆跡鑑定等によって比較的容易に遺言者が作成したものであるか否かを判断することができるため、後日の紛争を防止し、遺言者の真意を確認することができるからである。

これに対し、第三者が手を添えた場合には、一般的には遺言者の筆跡の特徴が失われることが多く、またそのため後日遺言書が当該遺言者によって作成されたものであるか否かをめぐる紛争が生じ易く、かつその場合にその判断が困難となるうえ、第三者の意思が加わる虞れが生ずるものであるから、原則としては第三者が手を添えることによってなされた自筆証書遺言は無効というべきである。

しかしながら、他方、遺言は死期が近づいて初めてなされることも多いという実情からすると、右原則をあまりに厳格に貫き、第三者が手を添えることによってなされた自筆証書遺言はすべて無効であるとすることは、死者の最終意思を尊重するという遺言制度自体の趣旨に反する結果を生むことにもなりかねず、したがって、遺言がその要件を具備しているか否かを判断する場合においては、法が遺言に一定の要式性を要求している趣旨と、右遺言制度の基本趣旨との調和の上に立って判断するのが妥当である。

そして、右のような観点からすれば、第三者が手を添えることによってなされた自筆証書遺言であっても、手を添えることが遺言者の筆記を容易にする程度に止まり、筆跡鑑定によって遺言書の筆跡が遺言者の筆跡と同一であることが認められるような場合には、右遺言書は遺言者の自書によるものとして有効とするのが相当であるところ、前認定の諸事実からすれば、本件の場合にも被告の添手は亡太郎の筆記を容易にする程度に止まるものと評価することができるだけでなく、筆跡鑑定の結果によっても本件遺言書の筆跡は亡太郎の筆跡であることが認められるのであるから、本件遺言書は亡太郎の自書によるものであると認めるのが相当であり、原告らの右主張は採用しない。

よって、被告の抗弁は理由がある。

三  また、原告らは、本件遺言書の内容が文字自体からではその意味が相続分の指定の委託なのか遺産分割方法の指定の委託なのかあいまいであり、しかも専門的用語が使用されていることから、本件遺言は被告の意のままに筆を運んだもので亡太郎の真意に基づくものではない旨主張し、その主張の意味は必ずしも明確ではないが、右主張が仮に遺言の内容が明確でないから無効であるというのであれば、遺言の解釈にあたっては遺言書の文言だけから形式的に解釈すべきでなく、遺言書作成当時の事情も考慮してその意味を解釈すべきところ、前認定の諸事実からすれば、本件遺言書の「いさんそうぞくの指定―を―いたくする」との文言の意味は、相続分の指定と遺産分割方法の指定の両者を被告に委託した趣旨と解せられるので原告らの主張は理由がなく、また、単に亡太郎の真意でないという主張であれば、本件遺言が亡太郎の意思に基づいてなされたものであること前認定のとおりであるからこれまた理由がない。

四  さらに、原告らは、本件遺言当時亡太郎には遺言能力がなかった旨主張するが、これを認めるに足る証拠はない。

なるほど、本件遺言書はほとんど平仮名で書かれており、そのことからすると、亡太郎は体力的にかなり衰弱しており、そのため筆記能力がかなり減退していたことはうかがわれるが、それ以上に、当時亡太郎は平仮名しか理解できなかったとまで推認することはできない。

五  よって、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高田健一)

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